› 3足のワラジ › 2009年05月14日

2009年05月14日

いつか通る道

 私はまだ老人ではありません。だから、本当に介護を受けている方の気持ちは何十年後自らが体験することで実感できるのでしょう。

6年前の春少しだけ身内の介護をしました。母が突然脳梗塞で入院しました。父は家庭のことは母任せでしたからうろたえながらやって

いて、妹も必死に支えていました。私はお嫁に行っていて、仕事もしていたので週末にしか手伝えませんでした。その上義母が交通事

故で動けなくなり、お義姉さんが毎日お風呂介助に通い、週末は私が母のお使いに行っていました。当時私のお腹には子供がいて、ま

だ安定期にはなっていませんでした。そんな私にお構いなしに義母は車いすを押させ、買い物に出かけます。週末しか休みのない私は

太田の実母・伊勢崎の義母の世話をし、これが一体いつまで続くのだろうと心を痛めたものです。

幸いそう長くは続かず、両方の母は元気になりました。

 介護の仕事は時間で区切ることができます。実際には「他人」です。だから冷静に対応できるのではと思います。でも、これが自分の

家族になったらどうでしょう・・・たぶん無理。母がそうでした。認知症になった祖母を受け入れることができませんでした。母が脳梗塞に

なったとき、後遺症でいづれ認知症になると宣告されています。いつかやってくる「その時」

 介護の仕事をされていても肉親では冷静になれないという話何度も聞いています。なぜか・・・知っているからだと思います。歴史を!

元気だったころ、自分に生きる全てを教えてくれていた、誇りであり、目標であったころを知っている。それが体・心が蝕まれていく・・・

あんなに素敵だったのに・・・

 ナッキーさんの勧めで聞いた樋口了一さんの「手紙」泣けました。いつか通る道なのでしょうか。


    「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせられたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持って欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ

家に帰りたい、家族に会いたいと願う利用者さんに笑顔で接することしかできない、無力な私です。  


Posted by ぼらぼら at 23:36Comments(10)介護